仕事が無いっていう異常事態
フランスで移民ギャングが大暴れ。
治安の悪化から「メキシコ化」というワードが出てきています。
麻薬カルテルが刑務所を襲う。
社会に悪い奴が一定数いるのは防ぎようがないけれど、まともな仕事さえあれば売人などやらなかった…という人もたくさんいるのではないでしょうか?
でも仕事って本当に人数分が用意されているモノだろうか?
選挙でも移民問題や所得の格差などは盛んに論じられていますが、何か議論の根本が違うのではないかという違和感…。
ハーイ、コンバット(クリムゾン)越後です。
なぜ、人は働かなくてはいけないのでしょうか?
人類は間違ったやり方で袋小路に入ってしまったのかもしれません。
今回はこの壮大なテーマを見ていきましょう。
農業の効率化
リーマンショックの際、多くの人が世界的不況に巻き込まれました。
仕事が無いってよくいうけど、人間が効率化を極めてしまったのがそもそもの原因なんじゃないでしょうか?
例えば農業ですが、現代の技術をフル活用して、土地もフル活用、地元の利権や国家間のイザコザも全て解決された状態で「超効率的」な仕事ができれば、わずかな農業従事者だけで世界中の人間を養えると、何となく思っていませんか?

それはそうなのですよ、日本で考えれば江戸時代と現代とでは、作業効率というものが違います。
安価な窒素肥料の普及、肉体労働の機械化、作物の品種改良、除草剤・農薬の発達…、
いや、だけど江戸時代の農民は人海戦術によって江戸の庶民を養っていたわけです。
江戸時代の人口構成において、農民(百姓)は全人口の約80〜85%以上を占める圧倒的多数でした。
AIによる概要
この圧倒的な農民の多さは何かといえば、作業効率の悪さを意味しているわけです。
人口の8割も農業に従事していますけれども、農作物を作りすぎて余って余って仕方が無いよ、ということなら自然と農民の割合は減っていったことでしょう。
面積を表す単位として
10反 = 1町 ≒ 1ha

江戸時代は農民1人当たり1反(991.7㎡)を管理して、1反の収穫は1石前後(約150kg〜200kg超)と考えられています。
江戸中期には全国の総耕地面積が約300万ヘクタールに達しているということで、ざっくり計算で3,000万石の生産量です。
まあちょっと計算が合わないけれど、効率の悪い土地もあったということでしょう。
農民1人の生産量が多目に考えて、1.5石。
2,000万人以上の農業従事者がいたと考えて、計算が合います。
江戸時代の人口の推移
AIによる概要
- 初期(1600年頃): 約1,200万〜1,600万人(平和の訪れと共に急増)
- 中期(1720年代・享保期): 約3,000万〜3,100万人に達する
- 後期〜幕末(1860年代): 約3,200万〜3,400万人(横ばい〜微増)
江戸時代の人口が4,000万人に到達しなかったのは、国内の食糧生産量が大きな原因となっていそうです。
人口を増やそうったって、食べるものがありませんからね。
ところが、現代。
1ヘクタールの大規模農地であれば、たった1人の農業従事者が100人分のお米を生産することも可能です。
(機械化が進んだ現代であれば、1haが大規模という認識はないですけれどね)
乾物(乾燥した米・小麦・大豆)換算であれば、人間は年間250kgもあれば十分に生きていけます。ビタミンとか鉄分とか諸々の栄養バランスを無視したらですけど。
下記に示すような海外の大規模農家であれば、たった数名で2,000人分の食糧を生産することも可能ということ。
いや、もちろん肥料を製造する人、農耕機械を製造する人、石油の掘削・精製をする人、各種リソースを運搬する人、そういう人々のサポートあっての話ではありますけれども。
1人当たりの大豆生産量(概算と傾向)
具体的な「1人当たりの生産量」の公式な国際ランキングは少ないですが、生産量と農業従事者数から見ると、アメリカやブラジルの大規模農家は非常に効率的です。
AIによる概要
- ブラジルの規模: 1戸で数百ヘクタール、あるいはそれ以上の規模を経営するケースが多い。
- アメリカの規模: 500ha以上の規模で栽培する農家も一般的。
- 1人当たりの効率: 上記の面積と、1ヘクタールあたり3トン以上の収量があるため、1人の経営者(+少数の作業員)が年間数百トン〜数千トン単位の大豆を管理しているケースが推測されます
食料自給率とか、農村の文化とか、食の伝統・安全性・多様性…、そういった諸々を排除してシンプルに考えると
大多数の農民、リストラです。
効率化したのに富まない農夫
昨今のコメ価格高騰を受けて、どう思われるでしょうか?
その前に、100人分のお米を生産したらいくらもらえるのが妥当だと思います?
ざっくりで年間20,000kg生産と考えて、kgで500円は欲しいですよね。
(60kgなら3万円)
すべて人件費ってわけにもいかない。
機械代や燃料代や肥料や除草剤…、いろいろ経費がかかります。
これを踏まえて下記の現状をお読みください。
やっと適正価格に近付いてきたのだという気がします。
2025年産(令和7年産)のJA米買取価格(概算金)は、生産コスト高騰や需要増加を背景に大幅に引き上げられ、60kgあたり2万6千円〜3万円超が中心です。前年比で5〜7割増の地域が多く、コシヒカリや主要銘柄は概ね2万7千円〜3万円超の価格帯で取引されています
AIによる概要
実際には一戸当たりの作付面積が重要なファクターになります。
近年は集約化が進み、以前より大きくなっているのがトレンドのようです。
北海道は別世界なので、そこを除いた平均値が下記となります。
| 都府県平均 | 約2.6 ha |
それぞれの数字に関しては「誤差ありきの大まかなモノ」と認識してください。
主題として、申し上げたいことは以下の内容です。

控えめに言って、昔の100倍の米を一人で
作れるようになった。
だが、
リッチにならないのはどうしてなんだ、WHY ?

人間の食べる量って昔と今で、
そんな極端には変わらないでしょ?
じゃあ、おかしくないか、
100倍ですよ。
農民の次に工員が減った
劇的に農民が減ったのであれば、例えば工場などに人材が大量に送り込まれたことでしょう。
しかし、現場のオートメ―ションの果てに彼らはどうなっただろうか?

農民に限らず、他の分野でも同じことです。

ゴメンナサイ、機械で代替が可能なのです。

人間は労働者としての役目を失い、消費者としてのみ存在が許されるということなのでしょうか?
いや~、だけど働かないとお金が無いのです。

仕事が欲しいのかい?
なら、新しく道路でも作ってみましょうか。
誰が利用するのか、分からないけれど。
AI によって事務職の仕事が奪われる…、とか言ってますけど
今まで10人でやっていた仕事を今後は1人でやりましょう、なんてことは繰り返し繰り返し…で、あらゆる場所で発生している世の中の変化です。
海外から安く資源が輸入されるようになったから、日本の炭鉱が封鎖された…
こういう事象とあんまり変わらんような気がします。
もっと効率がイイ奴を見つけたら、「お払い箱だ YOU」ってね。
まあ実際、日本は労働者の解雇が難しいのですケドね。
だけど、親分グループが不採算企業を切ったりすることは普通にあります。
何かいろいろと歪んでいますね。
労働者? 間に合ってます
そうは言っても、職場単位で考えたら人は不足しています。
でも、どうなのでしょうか?
組織の中に余剰の人間ならいるけれど、安易にその人を回すということはしない。
割に合わない仕事を(外部の人間に)させるために求人を出す。
嫌なことを我慢するのが仕事、っていう古臭い考え方がありますけど、ある意味ドストライクでそいういうコトなのかもしれないです。
本当はね、嫌な仕事、誰もやりたがらない仕事を輪番制の持ち回りでやればいいのです。
確かにそうなことをしたら、効率的ではないと思います。
(使い捨ての)仕事を覚えるために年月を費やして、それって無駄そのものじゃない?
だけど、優しい無駄…、人間らしい無駄だと思うのですケドね。
無意味な公共事業も必ずしも悪とは言い切れないじゃないですか(そんな公共事業よりも、はるかに公共的で慈愛に満ちた無駄である、と)。
雇用とは、いかに無駄を作っていくか…それが肝要…、そういう岐路に世の中が差し掛かっていると思えるのですが。
変に難しい書類のフォーマットを作り上げて、その界隈で時間を稼ごうとするのじゃなくて、割に合わない嫌な役目をみんなで回していこうっていう、そういう無駄…

何で希望が無い社会って言うの?
食料は十分に生産されている。
エネルギーも十分に流通している。
道路は十分に整備され、人口の多い地域では鉄道網も需要に応えている。
スーパーに行けば様々な食料品が陳列されているし、ネット通販を頼めば翌日・翌々日には何だって家に届く。
あんまり、不足しているものが無いな、と思える。
結局、モノやサービスが十分にあってもそこに対する支払いが厳しい、ということが悩みの種。
そうです、いくら商品の供給が潤沢であろうとも、それを購入するお金がなければ意味が無い、という…。
まあ、スマートフォンの登場は良かったと思いますよ。
何か、よく分からないうちに「必要なもの」ポジションに収まった感があります。
人類に向けていっぱい作らないといけないし、数年たったら買い替えるからそういう需要も見込める。
例えば、スマートパチンコっていうものは、あくまで既存の機種の代替品でしかないわけです(何という例でしょうね)。
新しい創生では無いということ。
だけど、スマートフォンは固定電話の代替品ではありません(ガラケーの代替品ではありますが)。
うまいこと、新しい必須アイテムを作ったなあと思います。
必須ではないけれど、かつてのファミコンとかの家庭用ゲーム機もそういった趣向があります。
人間を生物としてとらえた場合、必須のアイテムは少ない方がよいわけですがね。
アレも必要、コレも必要、そういう風に必要な物資が増えれば増えるほど「生物という観点からは脆弱」になりますからね。

経済を軸に世の中を作りすぎたのでしょうね。
労働は縮小し、消費ばかりが発展した。
お金が無くても、そんなに気にならない。
とりあえず、何かしらの仕事をしていれば何とかなる。
そんな世の中を本当は望んでいるのに、真逆へと動いていく。
価値観ですよ、価値観。
主観的に貧しいと感じるから、希望を感じられない。
お金(紙幣)を作ることが労働として成立すればよかったのかもしれません。
不足しているモノ・サービスを提供する、これが仕事の根幹でしょうから。
ところが、遠い昔の元(モンゴル王朝)の時代から紙幣の作りすぎという事象は発生しています。言うまでもなく、現代であれば いとも簡単に お金の流通量を増やすことができます。
そんな簡単にお金の総量を増やしてさ、毎日の仕事の対価を薄められてさ、
働いても、世の中は良くはならない。
労働は尊い
若い頃って、投資の教育みたいなことを しなくてよい と思うのです。
薄汚れて、世界や社会や人間のダメな部分も知った風になってから「おカネの勉強」を始めるということで、問題ないです。
若い頃は、もっと純粋に労働を崇め奉っていればいいのですよ。
小賢しいマネーの論理など不要。
需要と供給のバランスなど知ったことか。
いろいろ知れば、働かなくていいって考えるにきまっているんだ。

効率化しすぎたせいで、何もかもが過剰生産。
だから、モノの価値は薄れてしまって、作っても作っても儲からない。
本当に価値のあるモノを作れば売れる、みたいなことを言うのですよ。
小賢しい。
仕事の効率が良くなったせいで、今度はアッチコッチと競争する羽目になっただけじゃないか。
そこに投入される哀れな労働者よ。
日々の給料だって薄まってしまいそうだ。
いや、本質はソレじゃない。
何というか、人々は労働に対して価値を感じられなくなってきていないか?
本当は意味がナイことはしたくないのです。
今やっている仕事が賽(さい)の河原であってはならないのです。
何らかの意義を…、それくらいは持たせてくれませんか?
「意義ならばやれないが、給料ならば支払うぞ」って…そう…、言われても。
それこそが、資本家たちの本当の罪だろう。
積みすぎた積み木は崩れるのみ…。

もう本当に、今の世の中は詰みかもね。
アリの行列を見たことがありますか?
必死に物資を運んでいる仲間のすぐ横で、何も運んでいない「エアー運送屋」みたいな奴が追従している。
だけど、誰からも空気を運んでいるソイツはディスられないのです。
いやあ、素晴らしいと思いますね。
何で文句を言わないのかと考えれば、自らが物資を運んでいるという意義は重視しますけども、隣の奴が楽しているということは少しも重要ではないからです。
労働は尊いから、なのです。
そう思わせてくれるような、仕事をくれよボス。

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