ハーイ、貯金できない生態を持つ猿、コンバット(クリムゾン)越後です。
世の中には偉い人の書いた「貯金」に関する数々の文献がありますが、倹約に向かないタイプの人間には理解できるものではない。
いや、理解はできても実行できない。
そこで動物を先生にして、「貯金」の仕方、メンタリズムを学びつつ、独自の学説を展開するのが当記事の目的です。クレイジーだな。
狩りのイメージは、狩ってすぐに食う
例えばマンモスを数人~十数人の男どもが囲んで狩ります。
成功すれば大量の肉や毛皮が手に入りますが、肉は日持ちしない。
煙でいぶして燻製(くんせい)にすればいいじゃない? と、思うかもしれませんが、AI による概要によると…
燻製の歴史は古く、紀元前3000年ごろにはすでに存在していたとされています。狩猟採集民族が原始的な燻製法を発明したと考えられており、発祥地は北欧やシベリアなどが有力視されています。
と、いうことですので、約100万年前には火を活用していたことと比べると最近も最近の技術(ニューテクノロジー)といえます。
だから、原始時代は腹いっぱいに暴食したはずです。
極寒の寒い地方では腐らないかもしれないが、そのメリットよりも獲物が少ないデメリットの方が普通に大きいでしょう。だから却下。
冬季に雪や氷を集めて冷蔵庫的なものを作る氷室(ひむろ)という考え方もありますが、燻製と同じく最近の技術と考えられます。
農業をして穀物を貯蔵するという考え方も同様ですね、比較的最近の技術だから。
腹いっぱい食べて、しばらくグウタラしたら、また狩りにでかける。このサイクルだったはず。
だから、100人の集団だとしたら、(狩りに参加しない者も)腹いっぱい食べたのじゃないかな? 腐らせても仕方ないし。
大人数でデッカイ獲物を仕留める方が効率がよいことに気づいた、あるいは効率の良い生き方をする集団が自然淘汰の中で生き残ったとも考えられます。
狩りに参加しない人々も育児をしたり、肉をさばいたり、道具を作ったり、色々な役割を担って後方支援をしたはず。
逆に一人で生きるのは非常に難しい。生き残るために自然と集団を形成していったのです。
手に入れた肉が腐らないとしたら?
マンモスを倒して大量の食糧を得たとしても、腐る前に食べきらなくてはいけない。
これでは、節約とか倹約の概念は生まれない。
では、燻製や氷室といった技術によって長期保存が可能になったらどうだろうか?
腹いっぱい食べるのはやめて、少しだけにしよう。そんな考えが生まれてくる。
食料を残すことによって、どんなメリットがあるのか?
言うまでもないが、明日以降に次の食糧が得られなかったとしても、その空白の期間を貯蓄によって耐え忍ぶことができる。
空白の期間を餓死せずに耐えれば無事に次の食糧を獲得して、命を長らえさせることができるかもしれない。
シマリスが狂ったようにエサを貯めた巣箱を開けた結果…
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=8KS9UWktPEM&t=0s(↓動画)
貯めるのは本能だ
シマリスが貯蓄に精をだすのは、食料のストックが無いと不安になるから。
つまり、本能的なものである。
お金を貯めないと不安で不安で仕方がない。逆に、毎月貯金が増えるのであれば不安から解消されストレスを感じない。
そういう性分の人であれば、簡単にお金を貯めることができる。だって、貯めるのが好きなのだから。好きなことなら、できるじゃん。
逆に貯蓄のできない私のような人間もいる。
考えてみれば、あまり食べ物も常備しない。お菓子でも乾麺でもレトルトカレーでもお酒でも何でもいいが、日持ちのする食料っていくらでもある。
買っておいても損は無いのだが、どちらかといえば、数日で食べきれる分しか買わない。
トイレットペーパーとかそういう日用品でも同様の傾向がある、過剰在庫を嫌う習性があるのだ。
なるほどね~、どうりでお金が貯まらないわけだ。

人間の祖先は食虫類
現在生存する種ではモグラ、トガリネズミ、ハリネズミなどの食虫類が人類の祖先である。
リスは齧歯類(げっしるい)であり、食虫類とは違うが、食虫類の共通の先祖から分化したと考えられる。
虫を食べるネズミは、やがて原猿類(キツネザルの仲間、樹上生活に適し、立体視ができる)に進化する。
その後、ゴリラやチンパンジーに枝分かれした後、人類が誕生する。
チンパンジーは貯食をしないという。
なぜ、食虫類以降の流れで貯食の概念が途切れたのかと言えば、昆虫が長期保存に適さなかったからだろう(貯食に興味がないわけではない)。
だが、腐らない、腐りにくい食料を手にしたとき、沸き起こったのではないか? 貯蓄への執念が!
もし、齧歯類が人類の直接の祖先であるなら、今頃人類はみな貯金に努めていたことだろう。
もともと、虫を食べるようになったから樹上生活へと移行し、樹上生活を有利にするために枝をつかむための手(親指が離れている)が形成された。
そのうえで、アフリカの大地溝帯東側で森林が衰退し平原へと環境が変わってしまうと、枝をつかむための手をもった類人猿は地上に降りた。
密集していた木々は、まばらになった。両腕を活用して隣の木へ移動すること、もうできない。
地上に降りざるを得なかった人類の祖先は、(多くが死に絶えたが)生き残りは、ついに直立二足歩行を獲得したのだ、だが…。
手の使い道がない…。
その手は何をつかむためにある?
人類の祖先は食料を手でつかみ、別の場所へ移動させることを覚えた。
これによって、外敵のいない安全な場所でゆっくりと食事をすることができるようになった。
この行動はリスの持つ「頬袋に食べ物を詰め込んで、安全に運び、貯蔵する」に似ていると思いませんか?
ただ、進化の過程で齧歯類と食虫類が別々なのが致命的、リスが持つ貯蔵の強迫観念が人類には浸透しきっていない。
だから、お金を貯めるのを本能レベルでやっている人と、そうではない人がいるのだ。私がたまたま後者というだけの話だ。
アリの貯蔵
アリは巣穴で食料を貯蔵します。
コロニーにおける集団生活です。
ただ、シマリスが個体で貯食するのに対し、アリは集団のために貯食するという違いがあります。
巣は安全な場所ですから、そこに貯め込むわけです(野ざらしの場所に大事なものは放置できない)。
動物は安全な場所を確保できた場合、貯蔵する傾向があるのかもしれない。
あるいは、安全な場所における集団生活を成立させるために必要なピースが「貯蔵」だとも言えます。
お城にこもる籠城戦において、大事なのが食料の備蓄。これ世界の歴史の常識。
お金を貯められる人、貯められない人の傾向
ちょっと難しいニュアンスになるのですが、籠城するお城が堅牢で頑丈だと思えばこそ貯蔵に意味を感じるわけです(富豪は核シェルターが好きだ)。
耐えて勝つ、耐えれば勝つ、の精神。
反対に安全に立てこもれる場所なんかねーわ、と思えば貯蔵に対して懐疑的になります。
その日暮らしの精神。
・安全で堅牢な世界に住んでいると感じる
・人生は順調であり、きっとうまくいく
・集団生活に魅力を感じる
これが、お金を貯められる人の特徴的な考え方です。社会性があって素晴らしい。
ただし、貯蓄が増えないと不安になります。これが唯一の欠点か。
いや、でも日本の社会が「貯蓄しないと」病になって経済不振になっている現状を考えると、世の中って難しいですね。
アリに対して「そんなに貯めても仕方ないだろ、ちょっとくらい使いなよ」ってキリギリスが言ったところで、不安だからこそ貯蓄に邁進しているワケだから、何も響かないですよね。
いくらあったら安心、じゃねーんだわ、いくらあっても安心、できねーんだわ。増え続けるから、やっと安心なんだわ。
そう考えるとシマリスと同じ病気なのか。
・危険で破滅的な世界に住んでいると考える
・人生? 明日のことなど考えたくもない
・馴れ合いは嫌いだぜ
これが、お金を貯められない人の特徴的な考え方です。クレイジーだな。
キング・クリムゾンの「宮殿」風に言うなら21世紀のスキッツォイド・マン、だな。
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